2023年2月28日(火)那覇市内で上里一将引退記者会見を行いました。
上里一将
「本日はお集まりいただきありがとうございます。2022シーズンをもって現役を引退いたしました。僕が19シーズンサッカー選手を続けてこられたのは僕に関わる全ての方々のおかげですし、その感謝の気持ちを忘れず、子供たちにそういった感謝の気持ちを伝えながら僕も前に進んでいきたいと思います。」
—-FC琉球4シーズンでの思い出は
「沖縄出身選手として、沖縄に戻ってきて沖縄からJ1のクラブを出そうと言うことを目標に戻ってきました。そういった想いで琉球にきたのでそれを達成できなかったのは責任を感じていますし悔しい想いでいます。悔いの残るようなことが多かったと言うのが正直な心境です。沖縄のために伝えていかなければいけないことが多々あると思っていますしそれを全部伝えられたかと言うと足りていなかったかなと。ある意味この4年間、自分自身が大きく成長させてもらえた期間だと思います。沖縄の子供たちにJ1で戦っている姿を見せられなかったのが悔しい部分です。」
—-今残っている選手にエールを送るとすると
「とにかく悔いなくやり切った状態でサッカー選手を終えて欲しいと思いますし、僕はこれから応援する立場なので僕から言うことはあまりないとは思いますが、沖縄県から県出身選手を毎年出していくには沖縄のチームの選手が頑張ってもらわないといけないと思うので子供たちのためにも輝いた姿を見せていって欲しいと思います。」
—-19シーズンを通して貫いたこと、誇れることは?
「自分はうまい選手ではなかったので貫き通してきたことはたくさんあって、一言でまとめるとすると継続してきたこと、試合に向けてやらなければいけないことを逆算して、自分のためにチームのために先のことを見据えて継続し続けられたことかと思います。
—-継続してきたことは具体的には?
「僕の中ではルーティン化です。土日にある試合に向けて100%の力を出すために、朝起きるタイミング、夜寝る時、何を食べるか、食事も試合に向けて週単位で同じものを摂るなど、調子が悪かった時に逆算して何が悪かったか分かるので、試合に向けてやってきました。正解かどうかはわかりませんが、継続してきました。」
—-現役生活の中で一番記憶に残っていることは
「正直、苦しんだ方が自分の中ではイメージが強いです。勝とうが負けようが試合に対して自分のプレーを見返して悔しいと言うことが多かったです。勝っても課題があり、負けてもより大きく課題があり・・・もっとできたんではないか、印象に残っているというかネガティブな思いはあります。ゴールとかアシストとかについてはもちろん覚えています。」
—-今後の自身とサッカーのつながりは?
「ずっと言ってきていると思いますが沖縄の子供達に伝えていく立場になった時に、幅広くと言うことを思っていて、琉球に関わるのはもちろんですが琉球の子供だけではなく、宮古島も石垣島もあり、多くの離島もある中で沖縄は広くて行き届かないと言うことがあり、それができなかったという思いはあるのでスポーツで子供たちに夢を与えられるように頑張っていきたいと思います。」
—-宮古島初のJリーガーという看板を背負い続けましたがそれならではの大変さは?
「宮古島から初めてJリーガーが誕生した時にみんなが応援してくれたかというとそうでもなくて批判もされました。子供の頃からもそうでしたが、プロサッカー選手になりたいと言った時にも馬鹿にされ続けました。いざプロ入りが決まった時も応援される言葉とネガティブな言葉もあり、それを見返したいという反骨心でここまでやってきました。宮古島からプロサッカー選手が出たことがなくて、まずその一人目として次に繋げられる経験、道ができたという意味で宮古島には感謝しています。」
—-Jリーグで488試合出場。やってきた自分自身に言葉をかけるとするなら?
「自分に厳しいので笑 19年やってこれた自分は・・・褒められないです。やはり怪我が多かったですし、怪我も起こりうる状況になったのは自分だし、怪我がなければもっともっと自分の選手としての価値は高まっていたかもしれませんし、誰しも起こりうることだと思いますが、全て自分に返ってくる、そう言った中での生き方であったり足りなかったのは何かを僕は考えるので19年間プロサッカー選手をやってきたことが褒められるかと言うと・・・日本代表になったこともないですし。それがやはり若い時に足りなかったことに気付いていればもっと成長できていたと思います。ただ19年頑張ってこれたことについては自分自身にお疲れ様、とは言いたいです。でもやっぱり足りなかったことが多かったかな。まだまだ成長できたと思うし、時間も足りなかったし、もっとサッカーに時間を費やすこともできたかなと思います。」
—-長く選手を続ける秘訣は?
「さっき話したことに似ているかもしれませんが、自分の体を早い段階で知ると言うことが大事だと思います。ベストコンディション、体重、体脂肪がどれくらいなのかをそう言った自分の体を知ることが大事だと思います。若い時にはごまかせることも年齢を重ねた時に気づいてしまうこともあります。自分の体を客観的に早く知ることが大事だと思います。」
—-ご両親への気持ちは
「感謝しかないです。長くできた体に生んでくれたのは両親ですし、離島の派遣問題などいろいろ問題はありましたが、宮古島からプロサッカー選手が出たことがない状況でプロサッカー選手になる目標を何も言わずに応援してくれました。応援してくれる人が身近にいるということ、一人でも二人でも多くいることが貫けると言うことを両親から学べました。自分も親となり、子供がやりたいことを否定するのはなく受け止めていきたいと思います。本当に感謝しかないです。」
—-ご家族の支えについては
「娘はバスケが好きなので僕がテレビでインタビューを受けて話してもキングスじゃないことで文句は言っていますが笑サッカー一筋で何も言わずに支えてくれたのは感謝していますし、子供たちにはプロサッカー選手としての姿勢は見せなきゃいけなかったと思いますので娘がバスケですが子供たちに少しでも伝わってトライしてくれればと思います。理想の親父かはわかりませんが笑。(妻は)我慢してくれたと思います。1日サッカーに時間を費やしていましたし食事の部分でもサポートしてくれましたので本当に感謝しています。」
—-宮古島のファン、サポーターの皆さんへ
「19年間サポートしてくれて感謝しています。ただ、感謝の気持ちだけではなく行動することが大事だと思いますのでこれからは恩返しできるようしっかり宮古島にも足を運んで大人も含め、意見交換していきながら経験を還元していきたいと思います。」
—-同じ沖縄県出身の上原慎也さんについて
「同じ沖縄出身の後輩として仲良くしていました。慎也に接するとあいつは誰からも愛される人間ですし、ハッピーな人間なので悩んでいることがちっぽけに思えるくらい彼は悩みがなさそうな・・・笑 こういう人間になりたいという羨ましさもありつつ。特別な人ではあります。」
—-チームに残って二人で活動していくと思います
「琉球が心から応援されるチームになれるように僕たち二人がしっかり関わりを持ってやっていくことが大事だと思います。僕がネガティブ思考なので慎也に愛嬌を全面に出してもらってファンの方を増やしてもらって、僕は子供たちにプロサッカー選手としての在り方を伝えながらサポートをしていきたいと思います。アプローチの仕方は異なると思いますが琉球がステップアップしていけるようにしていきたいです。」
—-自身の夢(ロールモデルコーチ以外の部分の大きな部分)について
「言葉で発するのは簡単のようで難しいですし、形になるかわかりませんが沖縄のポテンシャルはすごくあると思っています。ざっくりですが沖縄の子供たちのサポートをしていきたいです。僕がサッカー選手になりたいと思っても国体、選抜に選ばれた時の旅費の問題もありました。そう言った問題はこれからも出てくると思います。そういったことで夢を諦めなきゃいけない子供が出ないように、形になるかわかりませんがサポートに繋がるようなことはしていきたいと思います。」
最後に同じ沖縄県出身で2019シーズンより共にFC琉球で戦った上原慎也クラブコミュニケーターから花束が贈呈されま
した。
上里一将さん
19年間の現役生活お疲れ様でした!