Club information

クラブインフォメーション

PHILOSOPHY

経営理念

沖縄とともに、強くなる。

FC RYUKYU BRAND CONCEPT

ブランドコンセプト

MISSION

GAME CHANGER CLUB

Jリーグの、沖縄の、サッカークラブの、ゲームチェンジを実現する。

VISION

“ONE OKINAWA” FOR J1.

沖縄を一つにするチームへ、J1昇格という奇跡を起こすために。

STRENGTH

0 TO 1 PRIDE.

あらたなJリーグチームの歴史を、
あらたな沖縄の歴史の1ページを、生み出し続ける。

WINNING IS BELIEVING.

わたしたちの一勝は、必ず沖縄を前に一歩進める。
だから、今日も、わたしたちは勝ちにこだわる。

OKINAWA GROWTH, TEAM GROWTH.

誰もが、この成長の主役と実感できるチームへ。

RULES

0 TO 1 MIND革新主義

前例・前提からは新たな歴史は生み出せない。
守りに入っていないか?常識にとらわれていないか?
ゼロから考えているかを、常に自分に問う。

一勝一歩勝利主義

一つ、勝つことだけがわたしたちを
一歩、目標や未来に近づけてくれる。
勝った数だけ、チームも沖縄も前へと進む。
自分と戦う、試合で戦う。すべての戦いで勝ちにこだわる。

ONE TRY行動・挑戦主義

すべては一歩のアクションから始まる。
どんなときでも、一歩前にでることで状況はいくらでも変えられる。
互いのトライを讃え、褒め合う。

一体成長地域主義

チームの成長が沖縄を強くする。
チームと地域を一心同体に
考え、動くことで、沖縄と一体になって成長していく。

SLOGAN

2024チームスローガン

創設21年目となる2024年。
クラブが初心にかえりつつ、今後第二章を迎える中で、 Jリーグ、そして沖縄に"新しい風を吹かし"チーム一丸となって"巻き返しを期す"シーズンにするという強い意志を込めて『Rewind(リワインド)』をスローガンに掲げました。
また、辰年である本年に2018年J3優勝時のスローガンであった昇り竜の「琉球昇竜」をサブタイトルに据え、沖縄とFC琉球の更なる飛躍を目指します。

EMBLEM

エンブレム

《王冠-Crown》

王冠はかつて琉球が日本で唯一の王国であったことを象徴しており、5つの線に4つのポイントが記されている。
『いつ(五つ)の世(四つ)までも末永く 』という琉球の伝統文化である“ミンサー織り”に由来しています。

《対のシーサー-Lion of pair》

対のシーサーは阿吽(あうん)「あ」右、「うん」左の呼吸を意味している。また、開いた口は勝利を呼び込み、閉じた口は勝利を離さないという想いも込められています。

《11本のライン-11lines》

11本のラインは戦う11人の集団を表現しています。

LOGO

ロゴ

クラブの名称は「FC琉球OKINAWA」(呼称はFC琉球のまま)とし“OKINAWA”から世界へ発信するブランド名称として展開します。

SYMBOL

シンボル

向かい合う2体のシーサーをモチーフにしながら正面からは1つの表情として捉えられるデザイン。「沖縄を強くし、沖縄の誇るクラブとなり、沖縄からアジアへ」をコンセプトに、グローバルでも通用する沖縄というプラットフォームの下、サッカーの垣根を越えたブランドとしてシンボルを展開します。

TEAM COLOR

チームカラー

首里城の正殿のイメージを再現したベンガラをメインカラーに設定。熱く燃える闘争心をより鮮明に表現しています。

FLAG

フラッグ

チームカラーのベンガラにエンブレム、ミンサー柄を配置。五つと四つのます目柄からなるミンサー柄には「いつ(五つ)の世(四つ)までも」という意味が込められています。

COMPANY

会社概要

会社名
琉球フットボールクラブ株式会社

チーム名
FC琉球 OKINAWA

住所
本社
沖縄県沖縄市安慶田5-1-16 グランシャトレ安慶田2階

那覇事務所
沖縄県那覇市奥武山町51-2 沖縄県体協スポーツ会館509

設立年月日
2013年5月

役員
代表取締役社長 倉林 啓士郎
代表取締役副社長 廣崎 圭
取締役(社外) 仲本 豊
取締役(社外) 藤崎 弘章
取締役(社外) 廣井 康士郎
取締役(社外) 今井 英次郎
取締役(社外) 玉城 久子
監査役(社外) 赤嶺 太介
執行役員 経営企画担当 荻原 直樹
執行役員 マーケティング部長 川崎 龍吾

顧問弁護士
松本 拓 (アンダーソン・毛利・友常法律事務所)

ホームタウン
沖縄市を中心とする全県

ホームスタジアム
タピック県総ひやごんスタジアム

HISTORY

歴史

沖縄県リーグ

2003

沖縄初のJリーグ参入を目指すサッカークラブとして創設。初代監督に宜野湾市出身の新里裕之が選手兼任で就任。沖縄県社会人サッカーリーグ3部に優勝。

2004

沖縄県サッカー協会社会人連盟の推薦により県リーグ1部へ飛び級での参入が認められた。監督に元日本代表の与那城ジョージが就任、県リーグ1部で優勝を果たす。

九州リーグ

2005

九州サッカーリーグは2位。全国社会人サッカー選手権大会は2回戦で敗れたが、第29回全国地域リーグ決勝大会で優勝。その後、日本フットボールリーグ(JFL)入会が承認され、沖縄県のサッカークラブとして初の全国リーグ参戦となった。

JFL

2006

石川康がゼネラルマネージャー(GM)に就任した。リーグ戦は14位の成績であったが、「ベストサポーター賞」を受賞した。

2007

吉澤英生が監督に就任した一方で、6月に石川康がGMを退任。リーグ戦は降格圏内の17位で終えたが、レギュレーション変更によりJFLに残留。

2008

日本代表元監督のフィリップ・トルシエが総監督、ブルキナファソ代表元監督のジャン=ポール・ラビエが監督に就任。元日本代表の山下芳輝が加入した。1月にJリーグ準加盟申請を行ったが、同2月19日に開かれた社団法人日本プロサッカーリーグの理事会において、運営体制の未確立、スタジアム等設備条件の不備を理由に認められなかった。

2009

1月、初代監督でコーチの新里裕之が監督に就任。リーグ戦は、入れ替え戦圏内の16位で終えたが、レギュレーション変更によりJFLに残留した(詳細は第11回日本フットボールリーグ#レギュレーション変更を参照)。12月、株式会社琉球スポーツキングダムから榊原信行率いる株式会社沖縄ドリームファクトリーへ経営権が譲渡された。

2010

新里体制2年目。リーグ戦は10位。天皇杯は2回戦で千葉に敗北。

2011

新里体制3年目。元日本代表の我那覇和樹が加入した。2月に申請していたJリーグ準加盟の審議が行われたが、継続審議扱いとなった。リーグ戦は、開幕から11試合の成績が全チーム中トップとなり、天皇杯のJFLシード権を獲得した。最終成績は9位。天皇杯は2回戦(初戦)で愛媛FCに敗北。リーグ戦は9位の成績。シーズン終了後に新里が監督を退任した。

2012

監督に鳥取元監督の松田岳夫が就任。順位は9位。

2013

監督にAC長野パルセイロ元監督の薩川了洋が就任した。9月、株式会社沖縄ドリームファクトリーから琉球フットボールクラブ株式会社へクラブの運営が移管された。9月17日にJリーグ準加盟クラブとして承認。11月19日に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の理事会でJリーグへの入会が承認され、2014年からのJ3リーグ参加が決定、沖縄初のJリーグ参入クラブが誕生した。リーグ戦の順位は11位。

J3

2014

薩川体制2年目。年間成績は9位。

2015

「島魂」(とうこん)

薩川体制3年目。年間成績は昨年同様9位だった。シーズン途中に、國學院久我山高校サッカーの監督を務めていた李済華がGMに就任。シーズン終了後に監督の薩川、コーチの小湊隆延が退任した。なお、10月のJリーグ理事会で、J3クラブライセンスがクラブの財務面の状況をより精査する必要がある、との理由で継続審議となったが11月17日開催の理事会で2016年度のJ3ライセンスが交付された。

2016

「全力琉球」

アカデミーダイレクター兼U-15監督を務めていた金鍾成が監督に就任。藤枝から昨年の正GK朴一圭、東北1部・FCガンジュ岩手から濱田克大が完全移籍で加入。外国籍選手としてフアン、パブロ、レオナルドを獲得。年間成績は12勝8分10敗の8位でJ3加入後初の勝ち越し。

2017

「琉球流蹴球」

金鍾成体制2年目。キャプテンは、在籍4年目で最年長のMF藤澤典隆が務めた。7月18日には北澤豪がクラブアンバサダーに就任。8月9日にスペインでのプレー経験を持つ中川風希が加入した。

2018

「琉球昇竜」

金鍾成体制3年目。元日本代表のFW播戸竜二、ノルウェーからFWカルボン・ファーデルが加入した。1月18日に早稲田ユナイテッドとの新たな包括的業務提携の締結、2月6日にはFC琉球高等学院の4月開校、4月24日にはプロ卓球リーグTリーグに参加する琉球アスティーダとの包括協定締結、同月27日には同じく沖縄県を拠点とする、プロビーチサッカークラブソーマプライアとの包括協定締結。クラブ創設15年目、J3参入5年目にして初のJ3優勝・J2昇格を果たした。4節・3試合残しての優勝・昇格決定はJ3リーグ最速となった。ホームゲーム最終戦となる第33節相模原戦に5-1で勝利し、ホームゲーム7連勝、かつJ3リーグでは初、全カテゴリー通算でも2006年J1で浦和が達成して以来2例目となるホームゲーム年間無敗(12勝4分)でシーズンを終えた。

J2

2019

「琉球襲来」

樋口靖洋が監督に就任。4月26日に行われた第6回定時株主総会ならびに取締役会で、「J1ライセンス取得」そして「J1昇格」の目標に向けて更なる経営力強化に向け、二人代表制を採用。6月1日付で代表取締役社長の倉林が取締役会長となり、取締役(事業統括)の三上が代表取締役社長に、同じく取締役(強化部統括)の廣﨑が代表取締役副社長兼スポーツダイレクターに就任。前シーズンから続いていたJリーグ「ホーム試合連続負け無し」記録更新。シーズン途中に元日本代表の小野伸二が加入。

2020

「REVIVE -琉球再興!-」

樋口体制2年目。順位は14勝8分20敗の16位で終えた。シーズン途中では、小川淳史が取締役社長に就任

2021

「FORWARD -琉球進撃-」

樋口体制3年目。前半戦は暫定首位に立ち優勝争いに絡むなどJ2に旋風を巻き起こす。第28節から第34節までの7試合を1分6敗の成績で順位を8位まで落としたことから10月20日に樋口靖洋との契約を解除し、ヘッドコーチを務めていた喜名哲裕が監督に就任。リーグ戦残り8試合の指揮を執ることになった。最終的に18勝11分13敗で9位となったものの、J2としての最上位でシーズンを終えた。

2022

「ONE RYUKYU 〜琉球一心〜」

喜名哲裕監督を監督として迎えたシーズンだったが、6月8日に成績不振により解任。バレンシアでヘッドコーチを務めたナチョ フェルナンデス監督が就任。8月には八重瀬町にJ1ライセンス基準を満たすクラブハウスが完成した。

J3

2023

「ONE OKINAWA」

ヘッドコーチの倉貫一毅が監督に昇格。開幕ホーム2連戦を連勝するも、第10節終了時点で17位と伸び悩み監督解任を決定。その後、スポーツダイレクター補佐としてチームに復帰していた喜名哲裕が監督に就任するも、連勝と連敗を繰り返し、前半戦を14位で折り返す。後半戦も苦境が続き、順位が低迷する中、9月15日には喜名監督の辞任を発表。 その後、FC琉球をJ2へと導いた金鍾成が、2018年以来6年ぶりに監督就任。チームは12勝7分19敗17位という結果で今シーズンを終えた。 また、クラブ発足から20周年を機にブランドコンセプトと中長期戦略を発表。2024年1月からクラブ名を「FC琉球OKINAWA」へ変更することや、女子サッカーチームの発足を決定。