投稿日:2020/6/10

上里 一将 Kazumasa Uesato

上里一将がFC琉球に加入したのが2019年。攻撃的サッカーを標榜し、ボールを支配することを重視するチームにあって、キャプテンとして、司令塔として君臨した。ここまで自分の思っていたサッカーにフィットしていると感じたのは、長いプロのキャリアの中でも初めてだという。故郷・沖縄での想いも含めて、自身の頭の中について語ってもらった。

image_uesato_01

宮古島のサッカーにとって、自分がいつも「初」だった。

―――FC琉球に加入した経緯を教えてもらえますか?

上里:チームを変わるときの決め事として、最初に声をかけてくれたところに行くという感覚を大事にしている。そして声をかけてくれたのがFC琉球だった。それはプロになった時から同じで、その時も最初に声をかけてくれたのがコンサドーレ札幌だった。

―――宮古島で育った高校生活から一気に環境が変わる北海道での生活に不安はなかったですか?

上里:不安というよりは、宮古島から離れてみたいという気持ちの方が強かった。宮古島初のJリーガーとしての期待というよりは、「通用するのか?」という懐疑的な目が強かった状況を結果で見返したいという想いが強かったこともあります。

―――なるほど。

上里:宮古島は野球が盛んで、親父も野球好きだったのでサッカーはこれからという感じだった。だから県選抜にしろ、国体にしろ自分が常に宮古島サッカーにとって「初」という経験をしてきました。小学校の低学年では野球もサッカーもやっていて、野球の方が上手かったかもしれません。

でもむしろサッカーは下手だったから、悔しかったし、もっとうまくなりたかった。

―――その頃から反骨心が強かったんですね。

上里:そうですね。負けず嫌いというのもあるし、人一倍考えるようになったと思います。体も小さくて、小学校の時は、試合に出られないこともありました。体の大きい人と勝負するには、どうしたらいいのかといつも考えていたことを今でも覚えています。

image_uesato_02

プロの厳しさとプロのレベルを実感

―――実際に北海道から始まったプロのキャリアは順調でしたか?

上里:かなり苦しかった記憶があります。特に加入1年目はチームのキャンプに帯同させてもらえずに、北海道に居残りでユースチームとの練習に参加していました。

―――そんな経験をされていたんですね。

上里:プロになってからが本当の勝負の世界だと痛感しました。でもその中でも腐らず、チームがキャンプから戻ってきたときに自分がそこでプレーするんだという強い想いで、必死に練習しました。その時の様子をコーチ陣が見てくれていたという話を聞いたこともあります。

―――プロサッカー選手になることを意識したのは、いつからなんですか?

上里:小学校の4年生くらいですね。県選抜で九州大会に行って、全国のサッカーのレベルを目の当たりにしたこととその時に見たジュビロ磐田の試合に感銘を受けました。特にゴンさん(中山雅史)のプレーを見て、自分もプロサッカー選手になりたいと思うようになりました。

―――ゴンさんとはコンサドーレ札幌で一緒にプレーしていますよね?

上里:はい。嬉しかったし、プロの鏡のような存在だと思っています。今でももらったスパイクは飾ってあります(笑) サッカーにひたむきに、勝利に貪欲な姿は、練習に取り組む姿勢からすべてを学びました。ゴンさんはチャリティーイベントの時でもアップからしっかり体を作り、試合に挑みます。

自分のトレーニングや試合に対する準備の姿勢はゴンさんから学びました。
image_uesato_03

―――自分のプレーの特徴を教えてもらえますか?

上里:どんな選手が出ても、その人の能力を引き出せることだと思っています。自分のキャリアの中で自分が上手い選手だと思ったことはありません。体が小さかった時に「自分がどうやったら大きい人と戦えるのか」を考えていたころから根本的には変わっていません。

―――なるほど。

上里:今のこどもだちは情報が多く、特に世界のサッカーの映像もたくさん見れるので、「自分で考える癖」がつきづらいということがあるような気がします。自分は宮古島出身で、すべてが初めての環境だったということもあり、「自分で考えなければいけない環境」だったことが大きくプラスに働いたと思います。

―――いまは、どんなことを考えていますか?

上里:J1にいくために自分ができることは何かと考えています。選手だけではなく、クラブ一丸となっていかないと達成できるものではありません。残り引退まで自分にどれくらいのキャリアが残っているかわかりません。J1昇格に向けて、すべてを尽くします。