投稿日:2020/6/20

小泉 佳穂 Yoshio Koizumi

青山学院大学から加入して2年目のシーズンとなる2020年は、彼にとって飛躍の年になるはずだった。10ゴール10アシストを目標に掲げ、2019年取れなかったゴールを狙いに行く。しかし、開幕戦ではベンチメンバー入りしたものの出番はなく、さらには新型コロナウイルスの影響で公式戦が延期となり、先行きが不安な状態に置かれている。期待の若手ホープに自身のサッカー人生について語ってもらった。

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攻撃的なサッカーが魅力のFC琉球でプレーしたかった。

―――FC琉球に加入した経緯を教えてもらえますか。

小泉:2018年9月中旬に練習参加をさせてもらいました。他のJ3やJFLのクラブからも声をかけてもらってはいたのですが、攻撃的サッカーでJ3を席巻していたFC琉球が自分にとってはすごく魅力を感じました。

―――ということは、自分から練習参加を希望したと?

小泉:はい。知人に強化部の方を紹介してもらって、何とか練習参加をさせてもらいました。

―――実際に練習参加してみて、どうでしたか?

小泉:当時はJ3の中でも圧倒的な成績を収めていたので、チーム内の雰囲気も良く、ボールポゼッションを軸とした積極的なサッカーは自分のやりたいサッカーとの感覚もよかったことを覚えています。

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切磋琢磨した高校時代、自立を求められた大学時代

―――FC東京U15から越境して、前橋育英高校に越境入学していますが、どんな経緯があるんですか?

小泉:FC東京ではユースに昇格することができませんでした。これが自分のサッカー人生における最初の挫折だったかもしれません。ただサッカーへの想いは変わることはなかったので、関東の強豪でセレクションの時の雰囲気の良かった前橋育英高校を選択しました。

―――どんな高校時代でしたか?

小泉:体の成長が遅く、フィジカル的に全く通用しませんでした。ようやくマシになってきたのが、3年生になった時くらいで、2年まではトップチームにも入れませんでした。ただ180人くらいいる勝利への意欲が高い部員の中で切磋琢磨した日々は、しんどかったけど、楽しかったです。

―――3年生のときは、全国高校サッカー選手権決勝までいってますからね。大学はどうやって選んだんですか?

小泉:学業とサッカーが両立できる環境を選びました。

―――実際に入ってみて、どうでしたか。

小泉:全国大会が当たり前で優勝を狙うのが当然だった高校時代とのギャップは大きかったです。ただ2年生からずっと試合に出続けることができたことで、まだまだサッカーがしたいという想いは強くなりました。

―――なるほど。実際にプロ選手になってからは何か変化はありましたか。

小泉:プロサッカー選手とは何かということを考えるようになりました。特にこの中断期間はちょっと外に走りに行くことくらいしかできないので、選手とはどういうものかを見つめていますが、まだあまり答えは見えていません。もっともらしい言葉は言えますが、なんとなくしっくり来ていません。

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左右両足を同じクオリティでプレーができるために

―――プレー面については、あそこまで左右両足同じレベルでプレーできる人も珍しいと思います。

小泉:元々右利きなので、右足はほっといてもうまくなると思っていました。なので、遊びでサッカーをするときなんかはほとんど左足でプレーするようにしていました。

―――最後に、どんなプレーが自分の魅力ですか。

小泉:ボールを持つのが上手いチームにおいて、攻撃にアクセントを加えることができること・アイディアで局面を打開できることが自分のプレーかなと思っています。